ミミルのメモ帳

オタクJDの自己満足ブログ。日記、備忘録、趣味のはなし。

弔辞【2020/07/10】

普段は「日記のタイトルが被らないようにしないと」と思い、「○○と△△」といったように「2つ書いておけば多分被ることはないだろう」なんて考えでタイトルをつけている。

しかし、今日は違う。

 

弔辞。

 

長年ぼっちのミミルが弔辞を書く機会は、恐らく人生のうち今日しかないのではないかと思ったのである。

 

 

本日は私の方から、謹んでお別れの言葉を申し上げます。

生前のミミルは、毎日楽しそうに過ごしていらっしゃったと思います。ツイッターでは、彼女はほぼ毎日のように「○○という作品が面白くて」「○○美味しかった」とつぶやいていました。そんなツイートを見るたび、私も幸せな気分になったものです。また、ミミルは著名な起業家として大成されました。彼女の起こした事業は、これからもずっと、世界中の人たちを笑顔にし続けることでしょう。

ミミル、今までありがとう。どうか安らかにお眠りください。

 

 

これは私が書いた、私への弔辞である。

これはどういうことか。

 

前に何度かブログの記事にも書かせていただいたのだが、最近某アニメにハマっている。…そのアニメの名前を出し過ぎてうるさいと煙たがられていそうなので出さないが。

その脚本を書かれた方が、過去に行った話の書き方に関する講義の書き起こしをnoteにアップされているのだ。

私は物書きになる夢を諦めてはや7年だが、気分転換に…と、講義毎に要求される課題にトライすることにしたのだった。

 

挑戦したのは、こちらの2つ目の課題だ。

冲方塾 創作講座3 課題1と2|towubukata 冲方丁(うぶかた とう)|note

自分の葬儀の弔辞を書く

 

大学生のわが身で、弔辞なんて書くなんて。

これは「一人称、二人称、三人称が分かるように書く」という練習だったのだが、思ったよりもその情報が抜け落ちやすく、難しい課題に感じた。

実際、講評では「これとてもいい弔辞じゃん」と思ったものはいくつかあった。しかし、たしかに文脈の流れでは理解できるものの、ゆっくり読んでみたら「あれ?」となる部分があり、日本語の「抜けても読める」トリックは絶大な威力を持つのだと痛感してしまった。

 

私は普段、思ったことを書きなぐってしまう癖がある。この練習を通じて、伝える為の丁寧な言葉の並べ方を覚えられたらいいなぁと感じるのだった。

 

今日はいつもよりもいろんなことをしたと思う。

英語のスピーチ。あれはひどかった。私の言語力は限りなく0に近い。今学期は絶対に評価が下がる──そう確信している。今まではごまかせていたが、もう私の化けの皮は剥がれてしまった。

 

そして、私のパソコンの容量が大変なことになっていたので、一気にデータを消した。

消していいものか分からないものまで消したが、大丈夫だったろうか。

この度初めてコンソールでコマンドを打った。容量の大きいファイルを調べるものらしい。分からんのでコピペして打ち込んだ。

返ってきたログの意味はなんとなくわかったが、結局どう消せばいいかはよく分からず、とりあえず重かった動画のデータやアプリのデータ、いつ使ったか分からないインストーラなどを消していった。まだ完全とは言えないが、かなりスッキリしたと思う。

想像以上にゲームが容量を食っていた。どれも「たまに遊びたくなる」程度の思い入れのゲームなので、消す気になれなかった。今日思い切って1つ消してみたが、今後どうなることだか。

 

あとは、今日は3000字超のレポートを書いた。

上記のデータ整理に時間をとられ、〆切には間に合わなかったが、初めてそれらしいレポートを書いたので満足している。

いい評価がもらえますように。

…まぁ、まだたくさん課題は残っているのだが。

 

あの講義の後だからか、文章に曖昧な部分がないかチェックしながら書いてしまっている。今後、ブログを気軽に書けなくなるかもしれない。まったく、困ったものである。

今日は早めに寝ようと思う。おやすみなさい。